とらドラ!の感想など2

前回

comb.hatenablog.jp

少しだけ書き残していたことがあるので書いておく。

あだ名と自己評価について

逢坂は高校では「手乗りタイガー」というあだ名で広く知られている。これは逢坂の体格と粗暴さ、また逢坂の名をもじってつけられたもので、確かに逢坂の体格は少なくとも豊かとまではいえない。また、逢坂は当時北村に思いを寄せていたが、誤って北村に宛てた手紙が高須に渡ったことに気づいた。この事実を知った逢坂は本作の序盤で深夜に木刀を持って高須の住居に侵入し、これを発見した高須に対し持参した木刀を突き付け、さらに高須の住居の壁に木刀を突き立てて穴を空けている。これらの点を考慮すれば、「手乗りタイガー」というあだ名は逢坂の特徴をよく表したものといえる。

一方で、逢坂本人は「手乗りタイガー」というあだ名に対してコンプレックスを抱いている。これは一つには体格が劣っていることによるものであるが、逢坂本人は自身を不器用であると認識していて、「タイガー」というあだ名から想起されるイメージにはそぐわないことも理由である。後者の理由については、作中でも気にしつつもなかなか表に出すことができないでいることが、逢坂の口から明かされている。

つまり、逢坂は「手乗りタイガー」というあだ名に対し劣等感を抱き、また自身の本来の姿と乖離している面もあるが、この状態を解消することができずに「手乗りタイガー」という他者からの評価に甘んじ、これにふさわしい言動をしようとしている。周囲が自分に何らかの振る舞いを求め、自分がそれに応えるというのは「キャラ」のようによくある話ではあるが、他者の自身に対する評価を自分自身の自身に対する評価と明確に区別することができずにコンプレックスを抱えているという点では、逢坂は自己評価についても他者に依存しているといえる。

逢坂が転校した理由について

この問題を解決しようとしたとき、逢坂自身が(高須の通う)高校で何らかの行動を起こすのはあまり良い結果をもたらさない可能性がある。逢坂は「手乗りタイガー」という周囲からの評価に適合するように行動しているため、何らかの行動を起こしたところでそれが周囲からの粗暴な印象を強化するだけに終わる可能性もあるからだ。

結局、逢坂の側で他者からの評価と自己評価を明確に区別し、「手乗りタイガー」という評価を他者が自分に求めるキャラとして受け入れるのが現実的な選択肢となる。しかし、自己評価を他人からの評価と区別することができていない状態ではこれは難しい。一度「手乗りタイガー」という他者からの評価を受けることのない環境に移ることで、この評価はあくまでも他者からの評価であることを認識する必要がある。その手段が転校だったと考えることもできるかもしれない。

逢坂の成長について

人間の成長は即自→対他→対自という過程を経るという話がある。子供は他者との関わりの中で自分が他者と異なることを理解し、さらに成長することで自分をいわば俯瞰して見ることができるようになるということと理解しているが、*1この理解に基づくと逢坂は対他から対自への移行に問題を抱えていると見ることもできる。この問題点は、終盤に逢坂の周囲の人間が少々強引に逢坂を自分の気持ちに向き合わせることで解決するが、こうして対自の状態になれたことで自己評価を他者からの評価と区別することができるようになり始めたと考えれば、これも逢坂が転校することを選んだ理由といえるかもしれない。

 大人と子供の境界について

 

本作の終盤でお互いの思いを確認した高須と逢坂は、駆け落ちをして高須の18歳の誕生日を待って結婚しようと決意する。高校生が駆け落ちというのはいささか非現実的で、結婚すれば大人という認識も稚拙に思える。それでも、高須の母親の泰子が認めているように、駆け落ちして周囲の助けを借りながら行動する二人はたしかに成長していた。

また、泰子も一見して子供っぽい性格で、生活面では息子が家事全般をこなすなど、「大人」という印象はなかなか生じない。一方で高須の将来を案じて自身が倒れるまでアルバイトをし、高須が事故にあったという知らせを聞いて実家に駆け付けるなど、親としての責務を果たそうとしている姿勢は読み取れるが、これは終盤に至ってのことである。

「大人」と「子供」は連続的で相対的なのかもしれないと思った。

 

以上

*1:間違ってても怒らないでください