とらドラ!の感想など

とらドラ!というアニメを見た。きっかけは以下のツイートに寄せられたリプライである。

 全25話で見応えがあり、ストーリーもしっかり面白かった。勧めていただいた方、ありがとうございました。

作品について

概括

公式サイト*1に記載のストーリーは以下の通りである。

生まれつきの鋭い目つきが災いして、まわりには不良だと勘違いされている不憫な高校2年生・高須竜児は、高校2年に進級した春、新しいクラスで1人の少女に出会う。 彼女は、超ミニマムサイズな身長の美少女でありながら、ワガママで短気・暴れ始めたら誰にも手が付けられない通称"手乗りタイガー"と呼ばれる逢坂大河であった。 そして放課後、竜児は誰もいない教室に1人残っていた"手乗りタイガー"のある一面を知ってしまう・・・。 竜虎相打つ恋の共同戦線、超弩級のハイテンション学園ラブコメディーここに始まる! 

 本作は電撃文庫より2006年から2009年にかけて刊行されたライトノベルを原作とし、2008年10月から2009年3月にかけて放映された作品である。上に引用したあらすじからもわかるように、作品自体は「学園もの」と「ラブコメ」の王道的な展開であるといえる。主たる登場人物についても、いずれも特徴的なキャラクターがしっかりと表現されていて、クラシックなライトノベル(的)作品といって差し支えないと思う。

キャスティング等について

本作のヒロインたるキャラクターである逢坂大河(あいさか たいが)の声優は釘宮理恵である。釘宮理恵といえば「アイドルマスター」シリーズの水瀬伊織や「ゼロの使い魔」のルイズなどに代表されるように、2000年代から2010年代までの「ツンデレ系」キャラクターの象徴ともいえる存在である。

この「ツンデレ」については、2006年のユーキャン「新語・流行語大賞」には「ツンデレラ」という語がノミネートされている*2から、2000年代後半には「ツンデレ」がある程度人口に膾炙しつつあったと考えることができる。

これらを踏まえると、本作における逢坂も「ツンデレ」に分類することも不可能ではなく、実際作中でも「ツン」に相当する部分と「デレ」に相当する部分を見てとることができ、そうすると、本作は「ツンデレ系ヒロイン」の流行という時代背景を色濃く反映したものということもできるかもしれない。

時代背景について

本作が2000年代の「ツンデレ系ヒロインの流行」という時代背景を反映しているかについては、上で挙げた根拠はキャスティングやヒロインの描写程度であり、強力とは言い難い。一方で、本作が2000年代の時代背景を反映しているということは明白であるといえる。例えば作中では携帯電話が登場するが、もちろんいわゆるガラケーであり(日本でiPhone3Gが発売されたのが2008年である)、他にも「デコ電」や「チョー〇〇」のような、聞かなくなってかなり久しい語がしばしば出てくるし*3、これらを無視してもどことなく「少し古いアニメ」という印象を抱かせる。この印象の出どころはそれこそ「ツンデレ」ともとれるキャラクター、瞳の塗り方のような細部の描写、主たる登場人物の一人である川嶋亜美(かわしま あみ)の髪型、さらにはOPまで、随所に今となっては時代を感じさせる片鱗が散りばめられている。

ストーリーやキャラクターについて

冒頭でも書いたが、本作はストーリーも面白かった。いわゆる「学園ラブコメ」としてしっかりとした骨があるが、飽きることがなく、各回が終わるごとに次回を見るのが楽しみだった。

キャラクターに目を向けると、本作のヒロインたる存在の逢坂は、周囲からは「手乗りタイガー」として畏怖されている一方で実は不器用である。また、手乗りと称されることからもわかるように体格は小柄であり、そのことに劣等感も抱いている。

また、家庭環境に目を向けると、家族との関係は良好ではなく、高須の住むアパートの隣に一人で居住している。ただし、生活能力はほとんどなく、生活費は父親から振り込まれており、高須とは対照的に家事全般も非常に苦手としている。実際、高須が逢坂の部屋を訪問した際に、シンクの悪臭に衝撃を受ける場面がある。

一方、主人公であるといえる高須竜児(たかす りゅうじ)は母子家庭で生活し、母親はスナックで勤務して日中は寝ている時間が多いこともあり、家事全般をそつなくこなしている。そんな高須と母親は、やがて逢坂と夕食をともにするようになる。高須の母親は逢坂を家族のように扱い、逢坂も高須の母親を「やっちゃん」と呼び慕うようになる。

ここで、逢坂が高須に依存しているという構造に注目することができる。逢坂は父親から住居と毎月の生活費を与えられ、一人で生活しながら高校に通うことはできていたが、家事の能力に劣ることもあり、その生活環境は良いものとは言えなかったところ、家事全般の能力に優れる高須と、自身を家族のように扱う高須の母親と知り合った。また、高須の居住するアパートは逢坂の居住するマンションと隣接しており、逢坂は自室の窓から高須のアパートのベランダと行き来することができたこともあり、高須のアパートで多くの時間を過ごすようになり、高須のアパートで夕食をともにすることも増えていった。逢坂が、一般に親の保護の下で生活し、十分な愛情を受けて然るべき高校生であることも加味すれば、上記のような背景から、自身の実の親を代替しうる存在として、高須や高須の母親に親近感を覚えること、また家事等の生活面で高須に依存することも当然といえる。

逢坂の高須への好意はこの依存が原点にあることもあり、逢坂は本作の終盤までほとんど一貫して高須に依存しているのを見ることができる。この依存は、作中で川嶋が指摘しているように、親子関係に近い依存ということができ、逢坂が高須と恋愛関係になるためにはこの依存から抜け出す必要があった。実際に本作の最終盤で逢坂は見事にこの依存関係を乗り越え、一度高須の下を離れて実の母親のところに行き、親子関係のしがらみを乗り越えた上で卒業式(原作では高校3年生の新学期だという)の日に高須の下に戻ってきたのであった。

そういう意味では、本作は依存できる相手を持たなかった逢坂が、高須という依存先を見つけたことで依存し、恋愛感情の自覚を経て成長した上で依存関係から抜け出す物語と考えることができると思う。

*1:

www.tv-tokyo.co.jp

フォント、シンプルさ、軽さなどに時代を感じる。

*2:

www.jiyu.co.jp

*3:デコ電」や「チョー〇〇」に限って言えば、2008年の時点で徐々に死語になりつつあったかもしれない。