節分に思うこと

2月2日は節分であった。2日が節分になるのは実に124年ぶりのことらしい。

私も歳の数だけ豆を食べ、恵方巻きを食べ、至って普通の節分を過ごした。

ところで、節分の時期になると毎年思い出す昔話があるので書いておこうと思う。

 

 

子供の頃、近所に公園があった。そこそこ大きな公園で、遊具はもちろんだが緑も豊かな公園だった。

小学校からの帰り道には同級生と「3時半に公園に集合」などと約束をして、家に帰ったらランドセルを投げ捨てるように置いて、おやつを頬張りながら自転車を漕いで公園に行き、そのまま日が暮れるまで遊んだ。

西日でだんだん赤く染まる空は、もう間もなく家に帰らなければいけないことをはっきりと伝えてきて、私たちはそれを見るたびに少し悲しくなりながら、残り少ない遊びの時間を必死に充実させようとしていたし、彼らと別れて家に帰る道中、夏の夕日が沈んだ直後、ほんのわずかな時間にだけ見える青色と水色の中間のような色の空や、冬のアスファルトを静かに照らす街灯の明かりは、家で待つ親や食卓に並ぶ温かい夕飯やいつも夕方に放映されていたテレビ番組を想起させ、友達と遊ぶ時間が終わってしまったことの悲しさを家に着くまでの間に徐々に癒してくれた。

ところで、その公園に行くとたいてい、一人の中年男性がいた。彼は公園にいる時はほとんどいつも、入って少し行ったところにあるベンチに陣取っていた。時々私たちが遊んでいるのを横目に眺めつつ、何をするでもなく時間を潰していたのだろう。彼の手にはいつも酒の四角いパックが握られていて、やがて成長してコンビニで同じ商品を見た時に初めてそれが鬼ころしという商品であることを知った。

今だとこういった人間は通報されてツイッターでは不審者情報が流れるのがオチかもしれないが、当時は比較的こういった人間にもおおらかだったのか、少なくとも通報を受けて警官が公園に来て話を聞いているところは見ることがなかった。私たちもまた、彼が危害を加えてくる人間ではないことは雰囲気で理解していた。

 

2月のある日のことだった。いつもの通り学校から帰宅し、そのまま公園に向かうと、公園の入口にパトカーが2台止まっていた。別に悪いことをしていたわけではないが、少し後ろめたいような気持ちになりながら公園に入ると、まず制服の警官の集団が目に入った。

私は祈るような気持ちでそこに近づき、そして、警官の輪の中に彼を見つけてしまった。

時間にして数分ほどだろうか、彼は警官たちと言い争っていたが、やがて半ば強引に手錠をかけられて公園から連れ出されていった。サイレンの音が鳴り出し、すぐに遠ざかっていった。彼がよく座っていたベンチには、やはり鬼ころしのパックだけが残されていた。

翌日は朝礼で担任が「公園に変質者が出たから気をつけるように」という話をしていたし、家に帰れば親はその公園に行くなと言ってきたから、同級生の一人の家で遊ぶことになった。道すがら公園に寄ると鬼ころしのパックがそのままベンチに残っていた。

以来、彼を見た者を私は知らない。子供らしく、警察に逮捕されたのだから刑務所に行ったのだという者もいたが、本当のところは分からない。程なくしてその公園は改修工事が始まり、桜が散り始める頃には遊具もベンチも新しいものに交換されて、私たちは再びその公園で遊ぶようになった。

 

 

以上