桜の開花に思うこと

桜の花はしばしば大学入試の合否を表す際にも使われ、「桜咲く」といえば合格、「桜散る」といえば不合格を表す。最近は桜の開花が入学式の時期から卒業式の時期に早まってしまったと嘆く声を聞くこともあるが、この使い方からすればむしろちょうどいい時期ともいえるのかもしれない。

冬の寒さに備えて葉を落とした木々は未だ葉をつけず、時々吹く風に思わずコートのボタンを閉めるが、同時に日なたには柔らかな日差しが降り注ぎ、冬を乗り越えた桜の花が開き始める。上野公園でも、一株だけ開花した桜の木の周りに多くの人が集まり、カメラを向けていた。

桜の花が象徴するのが入学式でも卒業式でも、桜とともに今までの生活が終わり、新しい生活が始まる。

コロナ禍で失われたものは多かったが、一人の学生にしてみれば恩恵もまたゼロではなかった。最たるものはオンライン授業であろう。自宅で授業を受けることができ、しかも録画を後から見返せる。加えて授業中でも質問をしやすい。おかげで勉強はなんとかついていくことができた。

そしてもう一つは、キャンパスが静かになったことだ。大学は本来開かれた場所であるべきだという主張とは相反するところがあるかもしれないが、やはり観光客がほとんどいないキャンパスは静かで過ごしやすいし、座学の授業は原則オンラインだったので学生も少なく、食堂で空席を探して歩き回る必要もない。この点は実習で大学に来る理系に進んでいてよかったといえるだろう。

人が少ないと、キャンパスをあちこち歩き回ってみたくなるものである。キャンパスの建物はもちろん基本的には同じ学部・学科の建物どうしが集まっていて、単に授業を受けに来るだけだとどうしても門と特定の建物の往復だけになりがちであるが、実際に歩き回ってみると新しい発見もあるし、思わぬところで道がつながっていることもあり、頭の中でキャンパスの地図が進化していくのはなかなか楽しい。

中でも特に気に入ってるのは、やはりというべきだろうか、三四郎池だ。池の端にひっそりと置かれているベンチに腰掛けて、静かに水面を見つめていると、それだけで思考が研ぎ澄まされていく気がする。(もちろん気がするだけで、実際にはそんなことはない。)

それから、この木と水の感じ(エフェクト)がね。―たいしたものじゃないが、なにしろ東京のまん中にあるんだから―静かでしょう。こういう所でないと学問をやるにはいけませんね。近ごろは東京があまりやかましくなりすぎて困る・・・(夏目漱石三四郎』より )

 水面に映る木々も良いが、時々吹く風にさざ波が白く光るのもまた良い。しばらくそうしていると、ぼんやりとした考えが頭に浮かんでくる。

 

そういえばと、啓蟄はちょうど今ぐらいの時期だったことを思い出した。春になると変質者が出るようになるという話を聞くに、冬の間私たちが何気なく踏みしめていた土の下には、リスかモモンガのように全裸中年男性が静かに冬眠をしていたのかもしれない。人気のない夜、突如土が盛り上がり、中から出てきた全裸中年男性は、まだ水の冷たい三四郎池で沐浴をして土を落とし、春の訪れとともに夜の街に消えていくのだろう。

 

 

以上