「ウマ娘 プリティーダービー」の感想など
「ウマ娘 プリティーダービー」というアニメを見たので、少し間が空いてしまったが感想などを書き残しておこうと思う。
本作は1期と2期があるが、個人的には2期の方がより面白かったように思う。1期は主人公としてスペシャルウィークが北海道から上京して成長する物語を描いていて、もちろん主人公の成長というのは王道の展開ではあるのだけれど、どことなく「ポテンシャルのあるキャラクターが適切な指導を受けて才能を開花させる」という言ってしまえば当たり前のストーリーになってしまったように感じた。その点、2期はトウカイテイオーを主人公にして、メジロマックイーンを、同じチームでありながらライバルとして描くことで、ストーリーに深みが増していた。
また、1期と2期の違いとして、主人公が経験する挫折をどう描くかというところがあるように思う。2期でも主人公であるトウカイテイオーは挫折を経験するが、作中を通じてこの挫折を丁寧に(しつこいくらいに)描いている。トウカイテイオーもスペシャルウィークのようにポテンシャルのあるキャラクターなので、物語の大筋としてはやはり同じ形式にはなるが、挫折をしっかりと描いたうえで、周囲の助けも借りながらそれを乗り越え、最後には1年という長期のブランクを経ても勝利を掴む姿を描くことで、単なる成長ストーリー以上の物語を描いている。
もちろん、2期では「チームスピカ」の他に「チームカノープス」に所属するキャラクターを登場させていること、より具体的にはツインターボを登場させていることも大きい。
度重なる怪我で闘志も消えかけて事実上の引退を考えていたトウカイテイオーに対し、周囲は今までのように励ますことができずにいた一方、ツインターボはただ一人トウカイテイオーの引退を受け入れようとしなかった。トウカイテイオーと勝負したいから引退してほしくないという気持ちを直接ぶつけ、チームのメンバーに泣きつく。
ツインターボは作中では子供っぽく、レースでは複雑な戦略は考えずに大逃げするが、終盤でスタミナが切れてしまいなかなか結果を残せないキャラクターとして描かれている。そんなツインターボが(だからこそ)、トウカイテイオーを勇気づけようと、強敵もいるレースで大逃げで劇的な勝利を見せる。トウカイテイオーにしてみれば、実力から考えて取るに足らないのに一方的に絡んでくるキャラクターとして描かれていたツインターボだったが、トウカイテイオー自身が無理といったことを実現し、諦めなければ不可能に思えることでも実現できることもあるということを自らのレースで示した。
かつてシンボリルドルフに夢を見ていた自分の姿をキタサンブラックと重ね、メジロマックイーンの「奇跡を望み奮起する者には実際に奇跡が起きる」という言葉に背中を押されたトウカイテイオーはテイオーコールの中でもう一度走ることを決意したのだった。
ここまででも物語としては十分に完成度が高く、あとはレースで勝利するシーンさえ描けば終わりにすることもできるが、ストーリーはここで終わらず、今度はメジロマックイーンが怪我をして走れなくなってしまったことが明らかになる。
走りたくても走れない、かつての自分と同じような境遇にいるメジロマックイーンに対し、今度は自分が言われた言葉を返すように「奇跡を起こして見せる」と勇気づける。かつて、シンボリルドルフという夢を追いかける側だったトウカイテイオーが、今度はキタサンブラックというかつての自分の、チームスピカの、ファンたちの、そしてメジロマックイーンというライバルの夢を背負って走ることになったのだ。レースで勝利できるのが成長した証であるのは間違いないが、これでようやくトウカイテイオーとメジロマックイーンが競い合う土俵が整い、お互いに実力が拮抗しただけの存在から、共に競い合い支え合う、好敵手という言葉がぴったりな存在になれたのかもしれない。
そんなトウカイテイオーに心を動かされたのは人生が予後不良ことゼンラチュウネン号(自称牡馬・43歳)。
「ハミチン♪ハミチン♪ハミチ〜ン」
ご機嫌なメロディと共に、日曜午後の多摩川の河川敷を闊歩する。
だが、放馬して人に被害が出ればただではすまない。逃げ出した馬を捕まえるべく、すぐに周囲の人間が動く。通行人から「全裸で目出し帽だけ着けた男が意味不明な言動をしながら歩いている」との通報を受けて警官が駆けつける。
警官の「ヒトムスコに需要はない」「ハミチンじゃなくてモロダシじゃないか」との指摘に、男は「股間のポニーがブラリアンしているだけ」「先にウマのエロをファンティアとかファンボで限定公開してる絵師どもを捕まえたらどうだ」などと抵抗。警官としては出るとこが出てる以上、ひとまず公然わいせつの現行犯で逮捕しようと目出し帽を脱がせるが、外れた途端に物音に驚いた男が激しく抵抗。逆立ちするようにして脚で警官を蹴り飛ばし、古馬とは思えない驚異的な逃げ脚を見せて逃走する。
走るゼンラチュウネン号の脳裏に、子供の頃の記憶が蘇る。
1983年11月13日。母が用事で家を空けた日に、父から出かけないかと言われて電車に乗った。はぐれないようにと父の手をしっかり握って、淀駅から人波に揉まれながら歩いた先は、京都競馬場だった。
歩き疲れたからと肩車をしてもらい、どっしりとした父の肩の上から、芝の生えたコースを眺める。ファンファーレのトランペットが秋の空に高らかに響き、レースが始まる。色とりどりの勝負服に身を包んだ騎手と馬は、最初は点の集合だったが、スタンド前に近づくにつれて加速しているように見えた。激しく芝を蹴って走る馬と鞍上で涼しげに姿勢をキープする騎手が一体となって、あっという間に通り過ぎていく。ふと、ある馬が一つ、また一つと順位を上げているのが見えた。その馬を先頭に、彼らが再びスタンドを目指して走ってくる。騎手たちが鞭を入れ、父の叫び声が振動となって肩から伝わってくる。これほど短い時間の間にこれほど人が熱狂することがあるのかと、訳もわからずに父の肩の上から見ていた。
帰り道、再び父の手を握って歩いていると、父がぽつりと呟いた。
「今日一番になった馬は、やっちゃいけないと言われていることをやって勝ったんだ。」
その時の父は続けて色々と説明してくれたはずだが、当時の私にはよく分からず、この言葉だけが記憶に残っている。 だが、今なら父の言葉の意味がはっきりと分かる。頭の中に、かつてどこかで聞いたフレーズが浮かんでくる。
83年、菊花賞。
その馬は、タブーを犯した。
最後方から、上りで一気に先頭に出る。
そうか。
タブーは 人が作るものに すぎない。
ゼンラチュウネンが、ひときわ強く芝を蹴った。
以上