2020年の暮れに思うこと

気がつけば12月。

朝晩の冷え込みが一段と厳しくなった。朝、布団から出るのに15分かかっていたのが、20分、30分と日を追うごとに時間がかかるようになり、駅で電車を待っている間にスマホを触る手はかじかんで動きがぎこちない。12月に入ってようやくコートを出したが、夜は肩をすくめて顔を埋めるようにして家路を急ぐ毎日である。

2020年は激動の年だったといえるだろう。もちろん最大の出来事は新型コロナウイルスの大流行である。

2019年11月に中国・武漢で原因不明の肺炎が発生していることが確認され、2019年の終わりにWHOに報告が入った。当初中国国内で広がっていた感染はしばらくして世界に拡大。人々は特効薬もワクチンもなく、無症状の人間もいるという新型肺炎に恐怖した。

アジア系の人々がヨーロッパやアメリカで迫害されたり、国内では外国人お断りという張り紙を出した店に批判が集まった一方で地方では県外客の入店を拒否する飲食店や県外ナンバーの車に石が投げられた。東京から帰省した人間のいる家が周囲から白い目で見られたといったニュースを今も覚えている人はどれほどいるだろうか。

そして迎えた緊急事態宣言。小池都知事は一時、東京との往来を制限することを示唆しているとも取れる発言をした。私も、遂に自衛隊利根川多摩川にかかる橋に爆薬を仕掛け、主要な道路では都県境に警察のバリケード自衛隊の戦車が展開され、東海道線は川崎と品川で折り返し運転をし、並走する京浜東北線も東京側は蒲田止まりになる中、封鎖が開始される直前に神奈川への脱出を図る都民や神奈川県民で六郷の橋は車道にも人が溢れかえり、未だ渡っている人々もろとも橋が爆破されるのではないかとワクワクしたものだった。

そんなこんなで私も日々自室のパソコンで大学のオンライン授業を受講し、たまに近所を散歩する程度の日々を送っていた。おうち時間という言葉は今年の流行語大賞にもノミネートされている。

夏になっても世界的な流行は収まる気配を見せず、暑い中でもマスクを着けることを余儀なくされた。せっかくの夏休みだが旅行することもできず、図書館で課題と格闘する日々が続いた。

秋になると大学もいよいよ実習を再開することとなり、午前中はオンライン授業、午後はキャンパスで実習という生活スタイルが始まった。やはりキャンパスに来て対面で実習をできるというのはありがたいものだった。

冬になると一度減少に転じた感染者は再び増加に転じ、先日大阪府は「赤信号」を点灯、GOTOキャンペーンの見直しが進むなどしたのは記憶に新しい。

気になるワクチンは官民の様々な努力で急ピッチで開発が進み、国によっては既に接種が開始している。12月18日に国内でもファイザーが申請を行った。国内での接種は順調に行けば2月下旬には医療従事者、3月下旬には高齢者と進んでいく予定であるという。基礎疾患がない若者への接種開始は今しばらく時間がかかるだろう。いずれにせよ、できる限り迅速な接種を期待したい。

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2021年はどんな年になるのだろうか。まったく見通しが立たない。来年のことを言うと鬼が笑うというが、今年に限っていえば何も言えないのだから笑われることはあるまい。

 

 

 

それはここ、首相官邸でも同じであった。

執務室で物思いに耽るのは菅総理大臣その人である。12月31日の夜。2020年も残すことあと数時間。

前総理の突然の辞意表明は、この男にとっては僥倖であった。官房長官の地位に甘んじていた今まで、8年もの間トランプ大統領と前総理の蜜月を誰よりも間近で見てきた。

総理大臣の座に就きたいという願望は、いつしかトランプ大統領と濃密な関係を築きたいという思いに変わっていた。その思いは静かに、だが着実に安倍晋三という男への嫉妬という形で菅義偉を支配し始めていた。

2020年9月16日。党内からの圧倒的な支持を背景に総理大臣の指名を勝ち取った菅は、表情こそ平静を装っていたが、喜びに打ち震えていた。思えば長い道のりだった。8年間官房長官として安倍政権を支えつつ、元号発表とパンケーキで人気を獲得し、次期総理への布石を打ってきた。その努力が実ったのである。

あとは日本国の元首として、日米同盟という強固な絆の元、合衆国大統領と結ばれれば自らの願望は叶えられる。

だが、そこに大きな誤算があった。

首相就任を祝うドナルド・トランプからのメッセージは菅の思いに反して冷淡で事務的なものだった。肩透かしを食らい動揺を隠しきれない菅。トランプの表情からは、安倍晋三という男が首相でなくなったことへの落胆と未練がありありと見てとれた。

事務方の事前調整の通りに進んでいく対談は、日米同盟を基軸として両国が今後も様々な面で協力していくことを確認するという、対外的には至極まっとうな結果に終わった。だが、対談を終えた菅は明らかにショックを受けていた。

失意の中行われたアメリカ大統領選。ドナルド・J・トランプという男が最後の根性で安倍晋三という男への義理を果たすのを冷めた目で見る菅は、まるでトランプのことなど気にもしていないとでも言うかのように早々とバイデン候補を大統領選の勝者と認めた。

決して冷たく扱われたことへの意趣返しなどではない。ただひたすら、トランプという男への思いが冷え切っていただけのことであった。菅にはトランプの穴を埋めるようにバイデンと深い関係を結ぼうという気も起きなかった。彼の官房長官時代の言葉を借りれば、粛々と執務を進めていくという決意を、とうに固めていたのだ。

菅の思索はノックの音で唐突に終了した。そばの準備ができたことを告げる秘書の声に、今行くと答え、執務室を離れる。

その夜、永田町では季節外れに咲いた一輪の桜が年を越すことなくひっそりと散ったという。

 

2021年が皆さんにとってなお一層よき年となることをお祈り申し上げます。

以上